安倍元首相は国葬にして欲しくないし、笙野頼子さんは発禁小説家であって欲しくない

安倍元首相が殺された。
痛ましい事件であり、あってはならないことだ。

しかし、彼を国葬にすることには私は反対する。

 

野党で反対しているのは、日本共産党、れいわ新選組社民党である。

www.jcp.or.jp

reiwa-shinsengumi.com

sdp.or.jp

 

私も安部元首相の国葬に反対する。
法的根拠についてはわからないが、税金で元首相の葬儀が行われることはおかしいと思う。すべての国民が安倍元首相に好意的な評価をしていたわけではない。抱く思いもそれぞれ違う。
国葬にしてしまうことで、すべての国民が安倍元首相の生前の功績を讃え、死を悲しんでいるという印象を国内外に与えてしまう可能性がある。
元首相とはいえ、他の国民と同じただの人であるはずなのに、税金を使って特別扱いをすることは許されないことだと思う。それによって、安部元首相の死を悲しむことが「日本国民としての当たり前」になってしまい、そういう態度をとっていない者が多数派の国民に不快感を与え、まるで非国民のように言われてしまうことも心配だ。

 

いや、幹事長がこんなことを言ってしまうのだから、もう私のような者は非国民なのかもしれない。
私は茂木氏の言う「国民」の中に入っていないのだから…

mainichi.jp

 

国葬に賛成する人しか国民にとしてみなされない日本になってしまうことに、私は反対する。

日本共産党の志位氏の言ったとおり「弔意というのは、誰に対するものであっても、弔意を示すかどうかも含めて、すべて内心の自由にかかわる問題であり、国家が弔意を求めたり、弔意を事実上強制したりすることは、あってはならないこと」だ。

今からでも、国葬をやめて欲しい。

 

話を変える。

 

笙野頼子(敬称略)の最新刊『笙野頼子 発禁小説集』を読んだ。

 

 

 

この作品が普通に出なかったこと(「群像」に掲載された作品が複数あったのに講談社からは出なかった)ことに暗い気持ちになるが、それでも本を出せたのは笙野頼子という作家自身の力と、彼女とその作品が持つ力に動かされた人たちの力だろう。そのことは心強く思う。

なぜ普通に講談社から出なかったかというと、「質屋七回ワクチン二回」やほかの掌編にある主張が含んだ作品を刊行することはしない、と判断されたようだ。
(出版部長、群像編集長、単行本チーフの合議の上で)
その主張は女性かそうでないかを肉体で決めるという話である。

女性用スペースのことや、女性スポーツのこと、女性自身や女性自身の身体が関係する物事についてどう呼ぶか、といったことを女性が決めることは差別と言われることがある。
最近のそういう流れによって、笙野頼子の作品は出版されるべきではない、と判断されたのである。

確かに、笙野頼子の表現については私もどうなのだろうと思うところもあった。
例えば、「陰茎つき自認女性」など頻繁に「陰茎」という言葉が出てくる。私は女性の身体を軽視する風潮に反対だが、陰茎のあるなしを強調することはあまりよくないと思う。

私とは違い、笙野頼子は女性かそうでないかの判別法として陰茎の有無をより重視しているようだ。「GID特例法」を尊重し、手術して体や戸籍を変えた者は女性と認めているようだ。だから、陰茎の有無が女性かそうでないかを判断するときに重要な要素となるのだろう。
私は陰茎の有るなしで女性かそうでないかがスイッチのオンオフみたいになるとは思っていないので、「陰茎つき」と他人を呼ぶことはよくないことだと思ってしまう。
笙野頼子もそんな風には思っていないのかもしれないが、私はそう思っているように思えた)

そういった点で気になることはあったし、人によっては他に気になる点もあるだろう。
しかし、だからといって出版しないという選択は最悪だと思う。

最近の文芸誌は趣向を凝らした企画で読者を惹きつけているし、多様性をテーマにした作品も多くなったように思う。
しかし、実際のところは笙野頼子のように表現することを止められる作家がいる。反論の場も与えられずに、批判だけを受けている。
多様性と言いながら多様ではない現在の状況がある。私はそのこと(多様性に見せかけた同調圧力があること、世間の流れに後押しされた少数の人間による判断によって、一人の作家の表現の自由が侵害されていること)を忘れたくないし、忘れてはいけないと思う。

 

また、参議院選挙の直前、笙野頼子山谷えり子氏に投票するとホームページに書いていた件についても書く。

femalelibjp.org

私はこのブログに山谷えり子氏について書いた。

hananomemo.hatenablog.com

正直、笙野頼子山谷えり子氏に投票する可能性はあるな、と思っていたから、そう書いているのを見ても驚かなかった。
それはもちろん、彼女のLGBT理解増進法案についての発言があったからだ。

www.youtube.com

 

女性用トイレやスポーツの問題があることを発言した山谷氏。
そういった問題はないし、そういった問題があるという話をすることは差別だということを言う人がLGBT理解増進法の成立を進めようとする者の中に多かった印象があるし、今もそうだ。
だから、そういう問題は存在していることを認識してくれているように見える山谷えり子氏の発言には私にも惹かれるものがあった。
私の場合は山谷えり子氏の考え方のほかの部分で決定的に合わないと思ったから、絶対に支持はできないと思ったが…
笙野頼子はまずはLGBT理解増進法の成立などで「女を消す」動きが加速することを懸念しての山谷氏への投票となったのだろう。

笙野頼子 発禁小説集』には笙野頼子日本共産党支持をやめるようになった理由も書かれている。

一応、日本共産党の記事では簡単に「差別者」と糾弾するやりかたは良くないということも書かれている。

www.jcp.or.jp

それでも、日本共産党支持者の笙野頼子への糾弾を止めることはできていなかった。

右とか左以前の問題として、人は自分の話を聞いて誠実に対応してくれそうな人を支持したいと思うのが当たり前だろう。
そういう人を選んでも良いと思えることで、自分は意見を尊重されるに値する人間だと思うことができる。
だから、私は笙野頼子の投票の選択を支持する。