【フェムテック】前回の記事についての補足と反省+稼がない女性(専業主婦)

大分間が開いてしまったが、前回の記事で、生理中に入浴する際に使用するバスボムについて「女性の意見を聞いて欲しい」と書いた。

女性が関わっているのは当時からっていたが、どこまで関わっているのか分かっていなかったからだ。
しかし、その後別の記事を見たら、4人チームのうちの3人が女性で、他の女性の声もアンケートなどで聞いた結果の製品開発だったらしい。

nlab.itmedia.co.jp

詳細を知らずに勝手に背景を推測して記事を書いてしまったことについて反省したい。


生理の時に入浴してはいけないと思っている人もいるのかと私にとっては発見だった。
私は生理のときも気にせず入浴するが、家族には不快な思いをさせないように気をつける。このバスボムを使っても解決出来ないので使う意味が見出せなかった。
でも、それは人によるなと思い直した。


生理といってもその症状やそれにまつわる思いは一人一人違う。
そのことについて一人一人が分かっていないといけないと思う。

 

それとは別に、フェムテックについてはもやもやした気持ちもある。

フェムテックは生理などの女性の不調に対処する製品を開発して商売をするという会社の働きである。
それによって女性の不調が和らぎ生産性が上がるというのもあるが、フェムテック製品が売れるだけでも生産性がある。


女性の権利を守るという動きの中に、女性がお金を生み出すという役割を見出すやり方があるということだ。
フェムテックは「女性の体の問題を解決するものであるが、ある意味、女性の体を使ってお金を生み出す技術である。

 

12月14日の朝日新聞の夕刊にフェムテックについての記事が載っていた。

バスボムの件についても書いていて、「『生理は隠すべきもの』という固定的な見方を再生産してしまう商品だと思います」と書かれている。

digital.asahi.com

 

この記事ではフェムテックで解決できる問題と社会構造を変えないと解決できない問題があるとされる。

フェムテックのすべてを否定しませんが、いびつな社会構造を是認したり強化したりしないかが問われています。生理でも休めない環境、学校での性教育の不足といった課題が解決されなければ、生理の悩みに一人で耐える状況は変わりません。

 

フェムテックで女性の悩みをすべて解決できるわけではない。

それでも、女性にまつわる問題について考えるときにやはりお金を生み出す領域は強い。

 

それはフェムテック以外についてもそうだ。

女性が男性のように働き経済力を付けるべきという考えもそうで、もちろん女性自身の幸せに直結するが、社会にとっても女性が役割を得る、つまり役に立つ存在になる。

「男並み」に働くから男性と同じように評価して欲しいという女性の主張は最近かなり認められようとしている。
ただ、それだけで全ての女性が幸せになれるわけではない。
「男並み」に働けない、「男並み」とはいかなくても「一人前」の金を稼げない、稼ごうとしない女性についてはあまり考えられていない。ただの努力不足のように見られてしまうことも多い。

 
でも、女性ならではの事情だったり、女性とは関係ない事情だったりで、お金を稼ぐことが難しい女性はいる。


私が関心があるのはやはり専業主婦のことで、Twitterなどではとにかく叩かれがちだ。

少し前にも専業主婦の仕事を賃金換算したら年収1300万円になるという、試算を取り上げて専業主婦がネットで叩かれていた。

年収1300万円なんてありえない、専業主婦は自分を高く見積もりすぎだということだ。

hochi.news

hochi.news

ニュースを貼っていて思ったが、こういう記事で意見を聞かれるのが必ず大学教授などの専業主婦ではない女性というのもまたモヤモヤするポイントだ。
 

「専業主婦を批判するな」「専業主婦という生き方も認めるべきだ」とまず言うべきだと思うのに言わない。結局男女ともに仕事も家事も分担する形を推進したい、専業主婦は減って欲しいと思っているんじゃないかと勘ぐってしまう。
もちろん主婦だけではなく主夫も増えるべきだし、仕事と家事を分担する共稼ぎ夫婦の方が金銭面では安心だし、他の面でもメリットがあるだろう。
しかし、だからといって専業主婦は叩かれるべきではないし、人生の選択肢として否定されるべきではないともう少しはっきりいて欲しい。

 

話を戻すが、専業主婦自身が自分の年収を1300万円と言っている意見はないとは言わないがほとんど見たことがない。
ほとんどの専業主婦は自分が年収何千万円だということが言いたいわけではなく、金銭換算して何円かはともかく全く価値がない人として見て欲しくないだけだろう。

専業主婦の仕事とされる事は賃金労働とはいろいろな面で違うので単純に比較はできないだろう。
家族に代わってもらえない限りハッキリとした休みを得られない(年中無休)のことが多いが、賃金労働のような重圧はないことが多い。


そこで、いかに専業主婦が賃金労働とは違う労働を行い役にたっているかをアピールするべきなのかもしれない。
でも、専業主婦といっても一人一人違うから、万人に当てはまるアピール点を探すのは難しいかもしれない。

 

障害者の権利運動について調べることがあるが、「役に立つかどうか」という視点で障害者が見られることに対する反論を見かけることがある。
そこで役に立っていないように見える人でも実は役に立っているのだと言われたりする。
そもそもそんなことを問う方に問題があると言われたりもする。


専業主婦についても、これといってアピールできる役に立つ点はないかもしれないが、人それぞれに役に立っているのだと言っていくしかないような気がする。

 

そういう、賃金労働をする女性と比べて役に立つ度が低そうに見える(実際はともかく)専業主婦は独自の方法で自分の存在を肯定していかなくてはいけないと思う。

 

とはいえ、SNSのおかげで専業主婦の考えや実態が知られやすくはなったと思う。

私が約10年前に子を妊娠〜出産した頃、参考にとよく育児漫画(コミックエッセイ)を読んでいた。
そういう作品はほぼ全て保活(保育園探しの活動)の話があって、初めて子供を預ける話もあった。

私といえば色々あって妊娠時に仕事を辞めてしまったので、その下りを見るのが辛かった。
保活や赤ちゃんのときから預ける辛さは味わっていないが、仕事をしていないという状態に対する不安や罪悪感はあった。でも、そうするしかなかったという実感もあった。
なぜ働いている人の話ばかりなのだろう?と思ってしまった。働いていない人の辛さをカバーするコミックエッセイはないのか?と思った。
コミックエッセイを描くような人はそれを仕事にしている=働いている人だから、働いている人しかコミックエッセイを商業出版で出さないのだろうと結論付けた。


そういう意味では、SNSで専業主婦の考えを表現したり見たりしやすくはなっている。
(私が子を出産した頃もSNSはあったが見ていなかったのでよく分からない)
ただ、やはり専業主婦は叩かれがちなので、表現するのは難しい部分もある。


しかし、いくら時代が変わっても全ての夫婦が共働きでやっていけるわけではないだろう。

大体、専業主婦ばかりが叩かれるが、共働きで家事育児を分担している夫婦よりも専業主婦の夫の家事育児負担は低いことが多いだろうから、専業主婦の夫もある意味楽をしていることが多いはずである。しかし、そこは責められず専業主婦ばかりが責められる。

仕事に一極集中したい人や家事育児に一極集中したい人、どちらかしか負担できない人はいるのだろうから、そこは尊重して欲しい。

離婚や死別したら路頭に迷うから働くべきとも言われがちだが、将来のために今無理しても続かないだろう。専業主婦本人だけでなくその家族にも影響が出てしまう。
もし働きたいと思ったら何歳になっても働ける社会であって欲しい。
私も今は専業主婦の選択が最適と考えているが今後はどうなるか分からない。でも、今の専業主婦の期間を仮の姿や助走状態であるとも思っていない。


専業主婦が自分の存在価値を示すために年収換算で〇〇万円とかこれだけ忙しいと一日のスケジュールを出してくるのは筋が悪い。
人それぞれに違うから、専業主婦はこれ!と見せられるものではない。


お金を稼げる者が強い、または価値があるとされる社会で、また何でも可視化することが大事とされる時代で。
専業主婦の人はたとえ不利になっても、役立ち方が見えにくいことに価値を見出すべきだと思う。
それこそが人それぞれに生きているということなのだから……


フェムテックなとで女性が女性特有の不調を和らげると同時に経済を活性化すること、また女性が働いてお金を稼ぎ自分の幸せを掴み取ること、そのための制度を整備することは両方大切だ。
しかし、その対極にいる役に立たないとされる女性性についても考えたい。
私にとってそれが専業主婦だったということだ。


特に最近は発達障害のある女性が働けずに結婚〜出産し、その子も発達障害というケースがよく叩かれる。
(私もそこに当てはまるかもしれないから根に持っている)
親ばかりか子供も働けない可能性があるということで役に立たないし、逆に害しか(社会にも子供にも)与えないとされるから叩かれるのだろう。
生きている人間に対して資産や負債のように見てジャッジを下す人は多い。役に立つ人は資産であり、役立たずだったり害を与える人は負債であると見做される。
そう見做される本人もそういう考えを内面化して自己否定したりする。


そういう役に立たない(ように見られがちな)女性についてこれからも考えていきたい。