【追記あり】LGBT法案について-国民民主党と維新の党が共同提出した独自案を採用して欲しい
18日、LGBT理解増進法案が提出された。G7前に間に合った形だ。
しかし、成立するかどうかまだ不明だ。
法案の内容について(国民民主党・維新の党の法案など)
もともと自民党や立憲民主党など超党派の議員連盟が提出した法案だったが、その内容に自民党が疑いを持ち始め「差別」を「不当な差別」などとする動きがあった。
その修正案は了承されたが、自民党内でも廃止にするべきという声があった。
さらに、国民民主党は維新の党とともに修正案とはまた別の案を共同提出した。
与党案にある「性同一性」という表現を「ジェンダーアイデンティティー」に改める。「国民が安心して生活できるようにする」との条文を新たに設ける。
「国民が安心して生活できるようにする」という条文はシスジェンダー、特にシスジェンダー女性の持つ権利を意識した条文だ。
当事者団体は国民民主党がシスジェンダーに「配慮」しようという姿勢に反対している。
私は国民民主党がLGBT当事者たちだけでなくシスジェンダー女性の権利も守るという姿勢をみせたことを支持したい。
大事なことは、法案が通ったら終わりなのではなく、その法案がどう社会に作用していくかを見極めていくことだ。
私は、いわゆるシスジェンダー女性(身体的女性)として、自分が持つべき権利が守られていくかを見ていかなくてはならない。
シスジェンダー男性については分からないが、少なくとも私のような女性については、LGBT理解増進法が通っても大丈夫とはいえない不安材料がある。
①「シスジェンダー女性」などの言葉について
そもそも、シスジェンダー女性と呼ばれたくない女性が相当数いることを理解しなくてはならない。
ジェンダーアイデンティティと出生時の性別(「割り当てられた性別」という言葉を好む人もいる。出生時もジェンダーアイデンティティ通りの性別だったということを強調したいのだろう)が同じ人のことをシスジェンダー、異なる人をトランスジェンダーという。
シスジェンダーとトランスジェンダーに二分してしまうと、女性という言葉の意味は「ジェンダーアイデンティティが女性である」というだけのことになってしまう。そこに身体的な意味はなくなってしまう。
「ジェンダーアイデンティティは分からないけど、女性として生まれたから(身体が女性だから)女性だ」という人のことは考慮されていない。
ジェンダーアイデンティティがどうであれ、男性の身体とは違う経験を女性の身体はもたらすことがあり、そのために困難があったり、社会の障壁にぶつかったりする。
しかし、そんな経験や困難があったとしても、女性の身体があり女性として生きることを受け入れている(受け入れてはいなくてもそう見られている)人間はシスジェンダーとされ、トランスジェンダーよりも強者であるとされてしまう。
現在、シス女性以外に「出生時の身体を見て女性と判別された」人間を指す言葉で認められているものはない。
(「シス女性」には出生時の身体が女性だった、ジェンダーアイデンティティが女性以外の人は含まれない)
「身体女性」や「生物学的女性」などという言葉を使って自分のことを表現したくても、差別と言われる。
シスジェンダー女性は現在も勝手に決められた自分の呼び方について意見することも差別と言われるリスクを冒さないとできなくなっている。それは「生理のある人」「子宮のある人」「出産者」などの言葉も同じだ。
「生理のある人」という呼び方に反対したJ.K.ローリングは酷いバッシングにあった。
自分の呼び方に対する意見ですら差別と言われるハンデを負いながら、私のようないわゆるシスジェンダー、身体女性はやっていかなくてはならない。
そのリスクは理解増進法が成立することによって増す可能性がある。
②女性用スペースの利用について
LGBT法案が成立した後の女性用スペースのあり方が変わることを不安に思う声は多い。
国民民主党が維新の党と独自案を出したのもそのことが理由と言っている。
それに対し、法案は女性用スペースの運用には関係ないとする声も多い。
LGBT理解増進法案に(私たちが提出している差別解消法案にも)、お風呂やトイレの運用基準を変える条文はありません。お風呂やトイレに入る基準は、性自認とは異なる基準で現在も決められており、法律が通っても通らなくても変わりはありません。
— 西村ちなみ 立憲民主党 (@chinami_niigata) 2023年5月17日
ただ、LGBT法案に賛成派中には、風呂については外性器で判断という法律に従うべきとするものの、トイレについては自認で区別すべきと言う人もいる。
下の記事でも女湯についてはデマだが、トイレは自認で良いと言っている。
今でもトランスジェンダーの人が女性用トイレを使ってはいるだろうが、ほとんどの人は女性用トイレが自認の性の区別で良いと考えているわけではない。身体的な女性と見分けがつかないから問題になっていないだけだ。
法案成立によって「トイレは性自認に合ったものを選ぶ」という風潮になれば、性自認が女と言う人、身体的な女性には見えない人も女性用トイレを使っても良いとなってしまうかもしれない。
そういう風に社会が変わってしまえば、女性は女性以外の人が女性用トイレを使うことを認めなくてはならず(拒否することが難しくなる)不安は増大する。
女性用トイレを身体で分けて欲しいという投稿をインスタグラムでした橋本愛氏は批判に遭って謝罪し、さらに週刊文春で発表した文は全面的に自分の今までの考えを批判するものとなっている。
女性が女性用スペースについて意見をすることは今でも簡単ではない。そのまま認めてはもらえない。
もちろん、橋本氏は自らの意思で謝罪したのだろうが、同じ意見(女性用スペースは身体で分けて欲しい)を謝罪せずに貫き通せる人はどれだけいるのだろうか?
現地で男性に見える人が女性用スペースを使っていても、それを止めることは逆除されたり、被害を受けたりする可能性があり難しい。
公共スペースでのトイレではない、職場でのトイレについても不安だ。
この記事を読んだときのやりきれない怒りを今でも私は覚えている。
私は職場のトイレについては、管理職の人がトランスジェンダーの人と他の職員の人の意見を聞いて調整すべきだと考えている。結果、女性用トイレを利用するということになることもあると思う。
(この記事に出てくる管理職の対応は不適切なものだったと言える)
しかし、この記事では、当事者の香織さんの女性用トイレ利用に反対する女性たちが悪者であるかのように書かれている。
何度も要望を出したのに聞いてもらえなかった香織さんは職場の女性たちに自分のトイレ利用についてのアンケートまでさせている。
(結果は女性トイレを利用しないで欲しいという職員が多数)
その職員の女性たちは香織さんが女性とは思えないと思っていた。妻子がいる香織さんを男性と思っている人も多かっただろう。
女性が男性(と認識する)人の意見(女性用トイレを使いたい)に反対することは心理的な負担が大きい。女性は男性に譲るべきと言う規範を内面化しているからだ。
それでも使わないで欲しいと意見を出した、そのことさえも筆者の松岡宗嗣氏は否定し、感情に訴えている。
シールを貼った人はどういう気持ちだったのだろうか。「同じ女性用トイレを使ってほしくない」という欄に増えていくシールを見て、香織さんが酷く傷つくという思いには至らなかったのだろうか。声をかけてみるということもなかったのだろうか。
このように、女性の意見は軽く見られ、「優しさ」「譲ること」を強制される。
トランス女性の女性用スペースの利用を「嫌だ」と思う人は「差別主義者なのか、我慢しないといけないのか」という言葉も耳にする。これについては、むしろトランス女性こそが、これまで常に”我慢”し続けなければいけなかったという前提を無視してしまっていると言えるだろう。
こういう表現で、松岡氏は実質トランス女性の女性用スペース利用は「我慢しろ。トランス女性の方が我慢しているのだから」と主張している。
(トランスジェンダーの権利保護を主張する人たちは、「我慢しろ」とは言わずに実質我慢する-すすんで自分の意見を取り下げることを女性に強要する表現を用いることが多い)
この状況で女性用スペースについての認識が変わる法案を通すことは、女性の意見がさらに軽く扱われる可能性が高いと言うことだ。
風呂について、今外性器で分けているのだし、そもそも当事者は女湯に入りたいと主張していないという意見がある。
しかし、調べてみれば分かるがもう既に男性器を隠して女湯を利用している人はいる。
その人たちがトランスジェンダーかどうかは分からないが、女性に近い見た目をしている人たちではある。
トランスジェンダーではない(と思われる)男性が女湯に侵入して逮捕される事件も多発している。
実際のところは分からないが、男性器のあるトランスジェンダーが女湯を利用したというツイートを庇護した、清水晶子氏の「埋没した棘」という論文もある。
トランスジェンダーの権利を主張している人たちは、女湯に入って逮捕された男性については絶対に味方にならず否定する。
しかし、平和的に(バレずに)男性器のある人間が女湯を利用することについて、そういう人たちは何も言わないし、庇護することさえある。
他の女性用スペースについてはさらに全面的に自認を認めている。
これでLGBT理解増進法が影響を与えないとは言えないだろう。
LGBT理解増進法を利用して今よりもさらに女性用スペースを利用したいと考える人(トランスジェンダーかどうかにかかわらず)は現れるだろうし、それにトランスジェンダーの権利を主張している人たちは(シス男性だとはっきりしている場合や逮捕された場合を除いて)反対しないだろう。
どう変わるかは分からないが今までとは確実に変わることが予想される。
国民民主と維新の案を取り入れて欲しい
LGBT法案がどうなるのか未だ不透明である。
もし成立させるのなら、国民民主党と維新の党が出した対案の内容を取り入れたものにして欲しいと私は思う。
「全ての国民が安心して生活することができるよう留意する」という条文があるが、そんなものは当たり前で必要ないと思う人もいるかもしれない。
しかし、実際にLGBTの人たちの権利と他の人の権利がぶつかる場面はでてくる。そのときにLGBT以外の人(シスジェンダー女性など)は差別者だから切り捨てて良い、というようなことにならないようにして欲しい。
そういうことを確認するために、国民民主党と維新の党が出した法案には意義があると思う。
追記(5/30)
この記事を読んだことをきっかけに見つけた、「性自認」法令化に反対する声明に署名した。
私自身はLGBT法自体は必要だと思っている。
LGBTの人たちに対する差別はあると思うし、それを止めさせる法律は必要だと思う。
ただ、性自認による差別をしないために行ったことが、女性が不利な状況に置かれる可能性はある(女性トイレをなくしてオールジェンダートイレを設置するなど)
そのためにも、性自認の扱いには注意していなくてはならない。
LGBTの人たちの権利も女性の権利もどちらも大事なのは当たり前だ。
それはお互いの声を聞くことが大前提だ。
声を上げた女性たちの声を差別者の声と切って捨てるやり方を私は絶対に見過ごせない。
その方向性はLGBT法が通ってしまえば、加速してしまう。
この世にはトランスジェンダーと差別者の対立しか存在しないわけではない。
トランスジェンダーと女性が対立することは絶対にある。それを前提に法案について考えて欲しい。