【ADHD啓発月間】親子で発達障害のある人が描いた漫画を読んで、そこまで批判されるような作品ではないと思ったこと

10月はADHD開発月間だけど、先日Twitterに投稿された発達障害の親子の漫画に大きな反響があった。

 

 

その批判(と呼べるものなのか疑問のあるものもあるが)の数々を見て、その批判を支持する人たちの多さを見て、私は落ち着いていられなくなった。

 

私も、作者と似ている部分があるが、診断を受けていないから私は発達障害ではないし(子供は診断されているけど)他にも違うところがあるから、同じとは言えない。
それでも私は作者を支持したいと思う。

そもそも、基本的に漫画というものは合う人と会わない人がいて、合わなかったら自分に合わなかったと思うだけで良いはずだ。
気に入らない部分や物足りない部分を指摘するのは良いと思うが、まずは漫画が伝えようとしていることを受け取るべきだろう。

 

この作品に対して、「『理解のある彼くん』が突然出てくる」という批判があったが、この漫画は「理解のある彼くん」に出会えたことを伝えたい漫画ではないことは明らかだ。
「子供を通して自分が発達障害であったことを知り、過去の自分を許せるようになった。子供の理解者になりたい」というのが伝えたいことだと思う。
まずはそのメッセージを受け取れば良いのに、枝葉末節が気になる人が多過ぎる。
作者のメッセージを素直に受け取りたくない人が多いのだろうけど、それなら黙って離れれば良いのにと思う。

こんな記事も見たけど、作者が伝えたいことと違いすぎるだろう。

anond.hatelabo.jp

多くの人が読みたい漫画というのは発達障害当事者ではない人の目線での需要がある漫画になるだろうし、当事者が伝えたいことは諦めないといけない部分も出てくる。
当事者で両方の需要を満たせる漫画が描ける人はいるだろうけど、両方の需要を満たす漫画だけじゃなくて、当事者目線を重視した漫画があっても良いと思う。

 

「理解のある彼くん」批判とは別に多かった批判が「自分が職場に迷惑を掛けたから、職場の人がキツくあたるようになったはずなのに、職場の人を悪者に描いて自分が悪かった描写が乏しい」というものがある。
私は別にそうは思わなかった。確かに、怒った表情ではあるが、モンスター化まではいっていない。包丁を突きつけたり、サービス残業を強要する、といったパワハラ行為に至っている人物が中途半端に穏やかな表情である方が不気味だし、この漫画に描かれている表情は実情に合っていると思う。
自分の落ち度も描かれている。
もっと具体的に、と言われても作者本人が具体的には分かっていない可能性も高い。何がダメなのかが分からなかったりする。
だから「嫌われる」としか書けない。「自分は嫌われるようなことをしている」ことまでは分かるが、それが具体的に何なのかは部分的にしか分からないし、分かっても直すことが難しかったりする。だから「生きているだけで…」と漠然とした自責感しか持てなかったりする。
「自分が悪かった!パワハラさせてしまった!」ともっと作者が自責している姿をエモーショナルに描けば多少はマシだったのかもしれない。作者自身が傷ついている姿は最小限に描けば良かったのかもしれない。
でも、それでは作者の描きたいことから外れてしまったのだろうし、これはこれで良いのだと思う。仕事ができなくて職場に迷惑を掛けるような人でも、パワハラを受けたら傷つくし怖いだろう。自分の問題を認識し、改善することはできなくても漠然と嫌われることは自覚して辛いという思いもあるだろう。

どんなに職場に迷惑を掛けていたとしても、パワハラを受けることは当然ではない。そこは、作者が毅然と表明しているので良いと思う。不満に思う人もいるだろうが、作者以外にも発達障害のある人でパワハラを受けて悩んでいる人はいるだろうし、そういう人が「仕事できないんだからパワハラされても仕方ない」と思わせないようにするしている作者は立派だと思う。

「生きているだけで嫌われる」と書いたその次のページで結婚していることの疑問の声も見たけど、「理解のある彼くん」が例外という認識なんだと思う。
仕事や他の人間関係だと、好かれる努力を自分でしなくてはいけなくて、それができずに嫌われていた。しかし、恋愛関係、その後の結婚生活だと、なんとなく出会って、なんとなく上手くいっていたりする。
それは棚ぼたみたいなものだと思っているから、「生きているだけで嫌われる」を否定する例ではなく、ただの例外と(無意識に)見なしたのだと思う。

いろいろ文句を言われているが、当事者目線で描かれた、それだけに突っ込みどころもあるかもしれないけど、加工し過ぎていない素直なメッセージが受け取れる、良い漫画だと私は思う。

批判が多すぎて、その中にはとても酷い言葉もあって、私は読んで疲弊してしまった。
発達障害のある人は子供を産むな」というよく見たメッセージも、また沢山作者に来ていた。
作者のふくふくさんや、ふくふくさんと同じ境遇の人たちが辛い思いをしているだろうことに胸を痛める。
(少しでも別のことに目を向けられる余裕ができていることを祈る。周りを見渡せば優しい人はいる)
こないだ、私は「~子供を産むな」というメッセージについてゴチャゴチャ考えた記事を書いたけど、やっぱりゴチャゴチャ言ってないではっきり言うことは言わないといけないと思った。
「障害がある人は、生きづらさのある人は、子供を産むな」なんてメッセージは絶対に間違っているし、すべての人に子供を産む権利があるはずだ。

 

私は診断は受けていないけど、発達障害の人が生きやすくなるための情報は私にも役立つことが多い。
最近だと、買ったこの本は参考になった。マンガとタイトルにあるけど、今回のマンガとは関係ないし著者も全く別の人だが。

 

 

(終わり)

 

 

以下はおまけで、私が言いたいことを言っているだけである。

 

 

ふくふくさんは漫画を描いているから専業主婦ではないかもしれないが、発達障害の人が専業主婦になることの批判もあった。
この漫画が批判される前には、Twitterで専業主婦を叩く発言も話題になっていた。
専業主婦叩かれすぎだ。
人がどんな人生を選んでも関係ないと思うけど、個人主義といわれる欧米でも専業主婦は蔑視の対象になると聞く。専業主婦は個人の人生の選択肢に入らないのだろうか?それはおかしいだろう。
 

発達障害の人が困っていることとかをネットで相談するような場に、発達障害の人に困らされた人の意見が書き込まれ、その人の意見の方が賛同を集めて同じような意見を持った人たちが集まったりすることがよくある。
困っている発達障害の人が意見を聞いてもらうことがそもそも難しいのだが、その中にも差がある。

ここで出すのは申し訳ないのだが、2016年、相模原障害者施設殺傷事件が起こったときに、神戸金史さんが書いた詩が話題になった。

重い障害のある息子に対してそのままでいいというメッセージのある詩で、その詩は素晴らしいし、多くの人に良い影響を与えた。私もこの詩があって良かったと当時は助けられた。
ただ、神戸さん自身は仕事で優れた結果を出し続けている方である。
もし、この詩が障害のある子供を育てている専業主婦が書いた詩だったら、ここまで受け入れられたのだろうか?と考えても無駄なことを考えてしまう。

 

「この人の意見は聞くべきだ」「この人の意見は聞かなくても良い」という差が生まれる。(それが全くない世界はありえないだろうが)

現在は「『理解のある彼くん』を得て結婚して子供を産んだ(専業主婦の)発達障害の女の意見」は「この人の意見は聞かなくても良い」という箱に入れられることがすごく多いなと思う。
何だかなと思うが、怒りも感じるが、そういう箱に入れる人たちに私の感情が振り回される必要はないなとも思う。

 

(おまけ終わり)