4/13に公開された、Youtube動画のれいわ新選組の大石あきこ氏の発言について思ったこと(トランスジェンダーの人が女性用トイレを使用することについて「気にするな」と言ったことなど)

れいわ新選組衆議院議員、大石あきこ氏は同じれいわ新選組のよだかれん氏との対談動画を4月13日に公開した。

それを見て気になったことがあったので書く。

 


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①女性トイレのトランスジェンダー利用のこと

 

後半、大石氏は「トランスジェンダーの人が女性トイレに入ってこられたら怖い」という発言を(SNSで)した人物に対して、「お前の方が怖いって」、「気にするな」と言っている。

現在、トランスジェンダーについてある程度ネットで調べたことがあるひとなら「トランス女性は女性です」というフレーズを目にしたことがあると思う。
トランス差別をしていないとみなされるためには「トランス女性=女性」という等式を前提として話をしなければいけない。

だから、女性トイレや他の性別に分かれたスペースについてトランス差別と取られないような発言をするとしたら、「お前が怖い」「気にするな」と怖がったり気になったりする女性個人の問題とすることはある意味「正解」と言える。

しかし、本当に「正解」なんだろうか?

今は、女性トイレなどの女性専用スペースは現実的には「女性に見える」人が使うものである。今のところトランスジェンダーの存在についてはあまり考えられておらず「身体的女性(いわゆるシス女性)に見える人」が使う、と思われている。
身体的女性の人に見えない人が使用しているのを見たら、警戒し、場合によっては助けを求めるかもしれない。

しかし、このままトランスジェンダーのことが世に知れ渡り、「トランス女性がトイレなどの女性専用スペースを使うことに拒否反応を示すこと=差別」の考えが広まれば、スペースを使う基準は「トランス女性に見える人」が使うことになる。性自認は他人から見えないので、見えるものでしか判断できない。

ツイッターを見ていると「トランス女性とシス女性の区別はつかない」「トランス女性はもう既に女性専用スペースを利用している」と言って、トランス女性の女性専用スペースの利用は問題ないとする人が見られる。しかし、それは今のところ「シス女性(身体的女性)」に見える人が使っていることがほとんどだろう。

いくら「シスもトランスも同じ」と言っても、一般的に人が「身体的に女性の人」と「トランスジェンダー含む、性自認が女性の人」とではイメージする女性像が違うと思う。「トランス女性」のイメージの方が「身体的女性」のイメージよりもより範囲が広くなるだろう。

女性トイレなどに、身体的な女性には見えないが、トランス女性にギリギリ見えなくもない…でも、男性の可能性が高い、みたいな人がいたときに、助けを求めて良いのか…と悩むようになるかもしれない。
間違えた対応を取ってしまうとトランス差別とされてしまうリスクを負わないといけない。

女性専用スペースを利用する方は入りやすくなるだろうが、そこには「男性自認で身体的にも男性だけど、女性に見せることができる人」も含まれる。
「女性に見せることができる」のも身体的女性よりもトランス女性に見せる方が容易だと思って実行する男性もいるかもしれない。

そういった可能性のことを考えるだけでも「トランス差別」とされる現状なので、なかなか難しい。

多目的トイレなどの性別に関係なく使えるスペースが増えることが一番良いのかもしれないが、すべて共用のスペースにしてしまってはそれはそれで問題がある。
昔は共用が多かったのが、男性、女性と分かれたのは女性が安心して利用できるためという理由がある。

いろいろ書いたが、私はトランス女性が女性専用スペースを利用するなとは言えない。
よだかれん氏などのトランス女性個人に対して女性専用スペースの利用をやめろ、などと言うのは人権侵害だと思う。
トランスジェンダーの人が女性トイレに入ってこられたら怖い」というのも、基本的にはSNSで言わない方が良いと思う。
しかし、「トランス女性は女性だから全員女性トイレを利用できる」という考えに賛同できない自分もいる。

「怖いと思う」「気にする」というのは自分の身を守るために必要な行為だと思う。
それを自由に表現しているとトランスジェンダーの人を傷つけることになるのかもしれないが、全くそうするなというのも難しい。
「怖いと思う」「気にする」ことをしなくて良い、被害に遭う心配のない社会が一番理想だが…

大石あきこ氏については、問題を個人に押し付けるのはやめて欲しい。
女性トイレなどの女性専用スペースについてはそうしないと(女性個人に「気にするな」「差別だ」と言わないと)語ることがもはや難しい(それしか「正解」にならない)話題になっているので、話題にして欲しくない。
そんな風になっていること自体を話題にして欲しいと思うが、それは大石氏ができることではないだろうし、して欲しくない。

 

➁全体的に言葉が乱暴なこと

 

れいわ新選組Youtube動画は山本太郎代表のものしか見ていなかったが、初めて大石氏の動画を見て、言葉の乱暴さに驚いた。

なぜこんな言い方をするんだろう?と思うくらい強い言葉を使っているところがあった。

一つ例を挙げると、よだかれん氏について「多様性枠の人は積極財政ではないと思い込んでいる人がいる」というところで大石氏が「かわいそうな人たちなんですけど」と言ったところだ。
「思い込んでいる」というだけで「かわいそうな人」と言うのはキツ過ぎるのではないか? 人はひとりひとり考え方も違えば理解力も違うのに…

間違った理解をしている人がいたら、何回でも説明して理解してもらえば良いのでは?と思ってしまう。
もちろん、理解できる人にだけ理解してもらえれば良いと考えているのだったら別に良いが…それでは多くの人に支持されないだろう。

大石氏は橋下徹氏とのやり取りや、ツイッターなどのSNSでのやり取りで、自分と同じ意見の人=味方、違う人=敵と考えているのではないか?と思ってしまった。
SNSを使っているとどうしてもそういう考え方になりがちだと過去の私の経験から思う)
対立せざるも得ない場合もあるだろうが、基本的に政治はみんなが幸せになるためのものなのだから、無用な対立はすべきではないと私は思う。

①で取り上げた「女性トイレをトランスジェンダーの人が使うことについて反対している人」についても、大石氏は「自分だけが犠牲者なんだと思っている」「余裕がない」から「積極財政で所得を上げよう」と言っている。相手が何を言っているのかを聞かずに、自分の党の政策に引き込んでいる。
自分と違う意見を持つ人を勝手に「こうだろう」とレッテルを張り、勝手に見当はずれの、(自分の党の理念に合う)自分に都合の良い解決方法を押し付けるのは信頼できない行為だ。

SNSでのやり取りではそういう強気なやり方の方が良いのかもしれないが(例えばツイッターでは、断定的な発言で自分は正義で対立意見は敵だと主張し、RTやいいね数を稼いだ方が、聞くべき意見と見なされる傾向がある)、動画で見るとかなり乱暴な印象を受ける。

大石氏は変えるつもりはないかもしれないが、考えて欲しいと思った。