「生きづらさを抱える人(発達障害の可能性のある人)は子供を産むな」という意見を見て思ったこと

自閉症啓発デーが4月2日にあり、ある漫画家が描いた漫画に結構な反響があって、私はそれを見てしまった。

news.yahoo.co.jp

ニュースを見ただけでは穏やかな反応しかなかったように見えるが、ツイッターではかなりの否定的な引用ツイートがついている。
私がここで取り上げたいのは「発達障害の人が子供を産んだのだから自業自得というか子供に同じ苦しみを与えるなんて…」みたいな意見のことだ。
この人は出産した当時自分を発達障害だという自覚はなかったようだが、生きづらさを感じているだけでも子供を産んだらダメというか、同じ特性が遺伝することを自覚しろ、という意見が多い。

なぜ取り上げるのかというと、私と似ている部分があるからだ。

hananomemo.hatenablog.com

前回こんな記事をのんきに上げてしまったけど、私の境遇と水谷アスさんの境遇はにていなくもない(私は多くの人に読んでもらえる漫画なんて書けないが…)

似ているという部分は「生きづらさを感じていた女が複数子を産み、その子に障害があった」という部分。

発達障害の傾向がある人…生きづらさのある人は子供を産むな、というのは別に新しい意見ではなく、ツイッターではよくある意見だ。
(10年くらい前はまだ遺伝のことはあまり言われていなかったから、ここ数年の傾向だとは思う)

よくある意見だから気にしてはいけないのだが、やっぱり心に来るものがある…
ツイッターは極力見ないようにしていたのに、見てしまった私の問題でもあるんだけど…

もちろん、落ち込んでいても仕方ない。
人に理解されにくい選択をした人は、他人から何か言われても気にしてはいけないし、たとえ傷ついたとしてもそのことすら面白がれるくらいに強くならないといけない。
人と違うということは理解されにくいということで、もちろん理解を求めていかないといけないんだろうけど、理解をされないことが当たり前と思っていないといけない。
(それでも、やっぱりここ10年間だけでも発達障害についての理解はすごく進んだと思う。理解を求めてくれた人たちのおかげで、私たちは生きやすくなったんだとは思う)


私と子供を幸せにできるのは私だけだという覚悟でやっていかないといけない。
理解されないことを当たり前に思ってやっていたら、理解してくれる人がいたときに嬉しくなるし、結構そういうことはあるものだ。
…という自分へのアドバイス

 

今の時代、一般的には親と子は別人格であるという考えが浸透している。

昔は親子心中とかもただの悲しい話と考えられていただろうけど、今は欧米みたいにただの子供にたいする殺人と考える人も多いだろうと思う。
親が勝手に子の未来を悲観して不幸と決めることはいけないと思っている人は多いのではないかと思う。

でも、障害のある(可能性のある)人が子供を産むことについての話になると、障害のある子供=不幸と決めつける人が多い気がする。
子供のために子供を産まないなんて理屈はありえなくて、どこまでも親自身の選択でしかないと思うのだが。
しかし、私は分かっている。障害のある可能性のある子供を産まないということが良いことだという考えは簡単に否定できるものではないことを…

たとえば、アイスランドジェンダーギャップ指数世界第一位で、男女平等、高福祉の国だが、妊婦の多くが新型出生診断を受け、陽性が判明すると100パーセントが中絶を選ぶらしい。

bunshun.jp

小さな国特有の事情もあるとは思うが、平等意識がありそうな国でも「障害のある子供は生まれない方が良い」という考えは高く浸透している。それは悪い考えではないから、なんだろうか?

…ここまで書いて思ったけど、親ガチャってことばも生まれたし、障害関係なく、子供への幸せの道筋が確実に描けるような状態でないと産むな、という考えが全体に広がっているというのもあるかもしれない。
その中でも、障害というのは分かりやすく「幸せを阻害する」ように見える要素だから取り上げられがちなのかもしれない…

とはいえ、「障害があるからと言って子供を産んではいけない」という考えは優生思想だから、認めてはいけないとは思う。
優生保護法の被害者みたいな人が再び出るのは絶対にいけないと思うし、そういう時代が再び来ないようにしないといけない。

…しかし、私自身のことを思うと、やっぱりスッキリしない。スッキリしてはいけないような気がする。
だから、ツイッターで否定的な意見を見たら凹むし、見ないようにしているのを逃げみたいに思ってしまう(でも見ないようにしている)

 

何が言いたいのかわからない文になってきたけど…
今の社会は、障害を持つ人、障害のある子を産む人に厳しい社会であることは確かだ。
今後、それが変わるのかも不明だ。

そんな社会で、「生きづらさを感じていたのに子供を産んでその子にも診断が下りた」私のような人は愚か者なのかもしれない(水谷アスさんが愚か者と言いたいわけではないです。愚かなのは私だけ)
それでも幸せだし、未来も幸せになる、と言える強さが必要だと思う。